ウェブライダー松尾茂起のはてなブログ

ぶぶ漬け、いかがどすか?

アイデアが出ない時にシャワーを浴びると、なぜアイデアが出るのか?


これ、以前ほかのブログにも書いたのですが、こちらのブログにも書いておきます。

あくまでも僕個人の考えですので、ご了承の上でお読みください。


 

「シャワーを浴びるとアイデアが出る!」という人がいます。

かく言う僕も、シャワーを浴びるとアイデアが出る派です。

 

 

なぜ、シャワーを浴びるとアイデアが出るのでしょうか?

この疑問に対して、音楽家の端くれである僕が出した「ある結論」があります。

 

 

それは、シャワーを浴びると大量の「倍音」を浴びることができる、だからアイデアが出る、というものです。

 

 

例えばあなたはこんな経験はないでしょうか?

クラシックのコンサートを聴きにいったとき、鳥肌が立ち、パーッと毛穴が開く感覚を味わったこと。

クラシックのコンサートって、表現豊かな楽器が奏でるたくさんの倍音が集まる場所なんですよね。

 

倍音を浴びると、身体中の毛穴がパーッと開きます。

それによって、脳が活性化するといわれています。

 

あなたがシャワーを浴びているとき、シャワールームには水の反射音が、低い音から高い音まで響いています。

それを真っ裸の状態で全身に浴びれるのがシャワータイムなのです。

 

だから、湯船に浸かっているとアイデアが出にくいことがわかります。

湯船に浸かっている状態では、倍音が身体に響かないのです。

湯船に浸かるのは、リラックスしたい時には良いのですが、アイデアを出すときには向いていないと思います。

 

倍音を全身に浴びたいときは、シャワーを浴びるだけでなく、クラシックのコンサートを聴きにいったり、 森林浴に行くのも良いでしょう。

 

実は「森」ってたくさんの倍音が鳴っているんですよ。

森や山は、低い倍音から高い倍音まで、自然から生まれた豊かな倍音が鳴り響く空間なのです。

だから、森林欲って、アイデアを出すのにとても良いのです。

 

そう考えると、山にこもっての企画合宿とかって良さそうですよね。

 

 

そういえば、かのアルバート・アインシュタインもこう言ったそうです。

「シャワーを浴びているときに限って、最高のアイデアがひらめくのはどうしてなんだろう?」

 

もしタイムマシンがあったら、彼にこっそり教えてあげたいです。

「それは倍音が鳴り響いているからですよ」と。

 

 

・・・とここまで書きましたが、これはあくまでも僕の勝手な分析です。

なので、信じるも信じないのもあなた次第。

でも、倍音の観点からすると、こういう理論も考えられるのかなあと思っています。

現に僕はシャワータイムに色々なアイデアを思いついてますから。

 

あと、イヤホンやヘッドホンばかりで音楽を聴いている人は、たまにはそれらを外して、生のコンサートなどに出かけて、身体全体で倍音を思いっきり感じると良いでしょう。

 

倍音を身体全体で浴びると気持ち良いですよ。

 

 

 

あ、そうそう、この理論にしたがって、僕はホテルを選ぶ際は必ず「シャワーの勢いの強いホテル」を選ぶようにしています。

「シャワーの勢いの強いホテルMAP」が欲しい今日この頃です。

 

汐留あたりだと、「ヴィラフォンティーヌ汐留」がシャワーの勢いが強くてオススメです。

 

 

というわけで、今から全裸でシャワーを浴びてきます!

 

 

 

マンドリル

頑張っている人には自然と良い情報が集まってくる件について

 

表題の通り「頑張っている人には自然と良い情報が集まってくる」ということを言う人がいる。

 

それには僕も同感で、僕も仕事をしていたら、その仕事で欲しかった情報がタイムリーで入ってくることが多い。

 

「おお、これこれ!今ちょうどこの情報が欲しかったんだよ!」的な。

 

それはある種、運というか、神掛かりな出来事のように思っていたけれど、どうやら、それは違うということがわかってきた。

 

というのも、よくよく考えれば、おそらく、自分に入ってくる情報の「量」や「質」はあんまり変わってなくて、その入ってきた情報に対して「この情報には価値があるかも」という感覚で接するようになっているからこそ、今まで見えなかった価値が見えてくるのだろうと思う。

 

自分が求めている人脈や情報が自然に手に入る法則のことを、世間では「引き寄せの法則」と呼ぶそうだけど、人はいつでも、自分さえ変われば、自分が気付いていなかった色々なものの価値を発見することができる。

 

だから結果的には、自分が引き寄せているのではなく、自分から近づいている感覚に近いかも。

 

 

マンドリル

「誰かにとっての自分の価値」を算定することのススメ

 

最近、誰でもコンテンツを販売できるサービスが増えてきた。

 

値段設定が自由で、100円で販売する人もいたり、1,000円で販売する人もいる。

そのあたりの値付けは人それぞれだと思う。

 

ただ、なんとなくだけど、世の中には「高い値段を付けると叩かれる」という風潮がある気がする。

 

で、たいてい、その商品に興味のない人が叩いてたり。

それってナンセンスだな、と思う。

 

勿論、「周りの人がこれくらいの値段を付けてるから、自分もこれくらいにしよう」、そう考えるのは市場原理的に当たり前かもしれない。

でも、必ずしも、他の会社さんや他の人と価格を合わせる必要なんてない。

自分の商品・サービスに独自性があればなおさら 。

 その価格で買って満足してくれるお客さんがいれば、それが一つの正義だと思うから。

 

 

そんなことを考えながら、ふと思いついた。

例えば、あえて「10,000円」からしかコンテンツを販売できないサービスとかもあったら面白いと思う。

 

なぜなら、10,000円から始まれば、周りの人も値上げしやすいし、コンテンツを買う人も慎重になるので、本当のファンしか買わない。

 

 

人は「自分が欲しいモノ」であれば、多少高くても買う。

 

 

例えば、僕は昔、ある人に「10分間」会うだけのために、20万くらい払って旅行したことがある。

なけなしの貯金をはたいて、諸々の経費を払った。

 実際は旅費というより、その他の経費だったんだけど、例えば「服飾代」。

 その人に会う時に失礼がないように、スーツや靴を新調し、これまで買ったことのないような高いバッグも買った。

 

人からすると「勿体ない」と言われるかもしれないけど、僕にとって、その10分間は20万を投資する価値のある10分間だった。

 

 

そんな体験をしてから、僕は「誰かにとっての自分の価値」というのを常に考えるようにしてる。

 

 

世の中には、自分の話を1,000円もらっても聞きたくないという人もいれば、10,000円払ってでも聞きたいと言ってくださる人たちがいる。

 

でも、その人たちの存在に気付くためには、一度、自分の価値算定を外部に委ねてみる必要がある。

あえて高い値段を付けてみたりするのは、そのための行為のひとつ。

 

もちろん、その値段には責任が伴うわけで、ただ高いだけで中身がスッカラカンだったり、お客さんが満足しなければ、単なる自己満足な価格設定になる。

そこは注意すべき。

 

 

すなわち、

その価格には責任が伴う

 ということ。

 

ただ、自由な価格設定にチャレンジする場合には、他者の空気に縛られない場所でおこなった方が良いかも。

他店舗の相場を気にしなければならないショッピングモールなどを使うより、自分のサイトで独自の決済システムを持つ方が良いんだろうな、と思った。

 

 

誰かにとっての自分の価値。

その価値は「世の中の相場」で決まるのかもしれないけど、あえて世の中の相場」を越えた部分で闘ってみるのも良いかもしれない。

で、そういったことを考え、チャレンジし続けることが、一つの人生なのかもしれない、と思った今日この頃。

 

 

PS:ちなみに勿論、価格が安いからといって、その商品やサービスの価値が低くなるわけではありません。

たくさんの人に価値を届けたいケースもあるだろうし、世の中の値付けには様々な理由が絡んでいることは分かっています。

あえて安く提供しているケースもいっぱいあるでしょう。

(個人的には、すき家の牛丼とか、あの美味さであの価格というのは安すぎると思いますが・・・)

 

あくまでもこういう考えもあるということで。 

 

 

マンドリル

「新入社員必見!」系記事の本当のターゲットは上司?

 

ここ数日で増えてきた「新入社員必見!」系の記事。

 

新入社員必見 - Google 検索

 

社会に出てきた新入社員をターゲットとしているように見えて、その実、上司をターゲットとしているのでは?と思う。(そこまで考えてない記事もあると思うけど)

 

例えば、何か注意したり、何かを教える時、その人に直接的に言うより、第三者を介した方が伝わりやすいケースが多い。

こういう記事をさりげなくシェアしておけば、見る人は見るだろうし、そうなれば、自発的な「気付き」を得てもらえる。

何より、言う側のストレスも減り、余計ないざこざも無くなる。

 

つまり、上司が新入社員を育成するための「ユーティリティ」的な記事になり得るのかもしれない。

 

 

PS:但し、ブログ記事ばかりをシェアして、相手とコミュニケーションをとる努力を怠ると、どれだけ記事をシェアしても読んでもらえなくなるので注意。

投げっぱなしの情報共有は危険です。

自戒を込めて。

 

 

マンドリル

本質的なことを書きすぎると良くない、という本質

 

記事をシェアされる時のことを考えてみた。

 

記事をシェアする側には、シェアする側のメリットがある。

そのメリットがなければ、シェアはしない。

 

例えば「Webデザインの本質はこうあるべきだ!」と語る本質的な記事があるとしても、それをシェアする側が「この記事をお客さんに見られたら困る!」と思ったら、シェアしないかもしれない。

 シェアする側がみんなハッピーになる記事の方がシェアされるに違いない。

 

だから、シェアをしてもらいたい時は、シェアする側の気持ちを考える。

これが本質。

 

でも、社会というのは本当に複雑だ。
Webマーケティングも実に複雑だ。

 

なぜなら、多くのビジネスは「本質の外側」で展開されているように感じているから。

 

でも、僕は本質的なことをコンテンツにし続けてみようと思う。

どうなるかは分からない。

 

 

マンドリル